• どこで本を読むか

    外に出て本を読むと集中できる。

    だが、カフェやファミレスでは飲み物を頼むだけでも250円か300円以上してしまう。どこかいい勉強場所はないものか。

    図書館も考えたが、私は図書館ではなかなか集中できない。他の机で鉛筆を走らせる音、人が出入りする音、本をめくる音、席に座る音、席を立つ音、様々な音が私の集中を妨げる。

    一方、カフェなどでは各々の音が雑音として、BGMのように聞こえるから、あまり気にならない。

    最近いいところを見つけた。ウェルシアだ。ウェルシアはドラッグストア。私の家から徒歩7分くらいで行ける。ウエルカフェというイートインスペースが設けられている。ドラッグストアなら100円前後のドリンクを購入して、イートインを使えば、コスパはかなりいいと思う。100円くらいでイートインを長時間使われたら店側としては嫌かもしれないけれど。ほとんど使われていないので、混まなければ使っていていいのではないだろうか。

    ウェルシアは数年前に建てられた新しいところなのだが、できた当初、自分の住む街にたくさんスーパーやドラッグストア、コンビニなどができなくてもいいのに、今のままでも不便してないのに、と思っていたが、こうして近場にできてイートインもあるとなるとありがたいなと思う今日このごろである。

    これからはちょくちょくウェルシアへ本を読みに行ってこよう。


  • SNSの害悪

    SNSなどのリコメンド機能というのは、ユーザーのSNSでの滞在時間を増大させるための仕組みだということに気づこう。リコメンド機能は際限なく我々に次から次へとその人が好みそうなポストを流してくる。

    確かに、見ている方は面白い。だが、それによって我々の貴重な時間は浪費されてしまっているということに気づかねばならない。

    SNSは比喩的に言えばジャンクフードで、楽しませてくれるが、栄養は殆ど無い。それどころか、脳はドーパミンを放出し続けて、我々を依存症にさせてしまう。このドーパミンという物質は、よく「快楽物質」と言われることもあるが、実際は「期待」感をもたらす、脳内ホルモンである。これが過剰になれば、人々はより貪欲になっていくのである。


  • 何のために生きているのか

    この世界には遊びに来たと考えて生きてみよう。

    この世界を楽しもう。

    人生はゲームだ。

    好きなところへ行こう。


  • 知識を身につけるには

    本当に自分の頭で考え抜いたことでなければ、自分の身にならない。本から知ったり、人から聞いたことは、それだけでは身につかない。知識はそれだけ知っていても、役に立たない。自分の中にある他の知識と結びつけてネットワークを形成させ、知識体系の中に位置づけられて初めて、理解することができるといえる。


  • 読書は紙の本で

    スマホ、PC、タブレットを使って本を読まないほうがいい。デジタルデバイスはいろんな機能がついているから、それを使って読書していると、他のアプリのことが気になって、読書に集中できない。

    紙の本を持っていれば、それだけに集中することができる。他に気を散らせるものがないからだ。


  • 背景にある心理を分析すること

    人が考えたり行ったりする時、そのバックには必ず心理的な働きがあるのだと考えられる。それを心理学的に分析するアプローチが面白いと思うのである。

    例えば、哲学やスピリチュアルなどに興味を持つ人々はそれぞれどのような心理構造故に興味を持ち、哲学なら哲学的な問題を考えていくのかという風に分析していくのが面白い。

    心を理解することが大事だということだ。哲学的な問題の内容を吟味するのではなく、そのような問題が人に生じる仕組みを分析するということだ。

    哲学を志向する人、スピリチュアルを志向する人の傾向、また、それらの特定のテーマやその内容はどのような心の働きから生み出されるかといったことを分析するのが面白い。


  • 何者にも縛られない

    モノを買う時、例えば、電子書籍ならプラットフォーマーを選ばなければならない。

    KindleならAmazonだし、ReaderならSony、Kinoppyなら紀伊國屋書店だ。

    日本国内の企業を応援したいとなれば、ReaderやKinoppyだが、機能的に選びたいのであれば、Kindleはやはり使い勝手が良いように思える。

    一つものを買うにしても、様々なことに悩まされる。どう判断するのが良いのかと悩んだり、自分のライフスタイルに最適化させるにはどうしたらいいか悩んだりする。そういう手間が楽しい人はいいかもしれないが、私はそうは思えないのである。

    ミニマリストではないが、モノ、デジタルなものも含めて、それは少ないほうがいいなと思う今日この頃である。そもそもモノを持たなければ、そこから生じる問題に悩まされる必要も最初からないのだ。


  • 自分なりのライフハックを考える

    やるべきことが分からない時、退屈している時、何かについての問題を考えてみよう。すべてはそこから始まる。問題がわかれば解決法を見出すこともできる。問題はどんなテーマでもいい。ただし、良い問題はそれだけで解決法をスムーズに導き出すための土壌ができることにつながる。自分の身近なことについてのライフハックでもいいから、自分なりの問題提起と解決法を作ってみよう。問題提起にはセンスがいるし、解決法を思いつくまでには、思考のプロセスがいくつも必要で、頭を使う。


  • 確かなもの

    確かなものを求める心は、それにしがみつきたいという不安を抱いている心と表裏一体だ。我々には、あやうい世界を生き抜く力を与えられているのだと思いたい。


  • ACT

    これまでの認知行動療法は「思考の中身の修正・変容」を目指してきた。ACT「思考の中身を変えるのでなく、思考そのものとの関わり方や扱い方の変容」を目指す。